娯楽と休日

戦前の田舎の娯楽しいえば休日に限られていた。
お正月とお盆の五日から一週間、春と秋の彼岸、三 月三日と五月五日の節句、氏神祭りなどが、どこで も共通の休日であった。
この日ばかりは家族そろっ て遊びに興じた。
他に年に二、三回、田舎芝居の巡 業や巡回活動写真がくるくらいで他に娯楽はなかっ た。
芝居や活動写真がくるときくと山小屋で働く若者 は、当日の仕事が終わったあと山を下り楽しんだ。
もちろん劇場などはなく、広場ににわかづくりのテ ント小屋を建てて興行していた。ちなみに入場料は 「木戸銭」といい大人10銭、子供5銭が標準であ る。

製材所

 若いころ先輩たちから開いた話によると、明治時代に初めて 水車式製材所が設立されたという。
つづいて火力製材所が 生まれ各地に建てられていった。
 これら水・火力製材所の出現後、林業全般がますます盛んに なり、それまで斧や鋸の入らなかった原生林に次第に開発の 手が伸びていった。


林道がいたるところ開通している今日では、どこに製材所を つくろうとも驚くほどのことではない。
だがほとんどを人力に 頼っていた当時、原生林開発の製材所を深山に設けることは 想像を絶する。
三重県備後山、三重・奈良県境の月谷、 奈良風折、木和田奥、そして釈迦岳の一角、白川又、これらが 私が知る製材所設置場所であり、ここを拠点に原生林が開発 された。 いずれも大きな山であったが、なかでも白川又はとくに大きい。