堰出しの再現

私の故郷、現在は熊野市五郷町だが、その ころは五郷村といっていた。
この村から一里 (4キロ)ほどの山奥に太郎坊大権現をまつ る奥之宮がある。
霊験あらたかな宮として近 在では知られている。
現在では林道が通り事 で入ることもできるが、当時は国道169号 線から一里近い参道を歩かなければならない 参道わきには牛木馬道がついていた。
 伐出の現場は奥之宮のさらに奥に入った滝 のような谷川付近。
大きな石がいっぱい転が り、その間をぬうように水瀬(みずせ)がある、 地元の人びとが「高尾谷」と呼ぶ一帯である。

同じ堰をつくるにしても、このような場所は手間暇がかかり 架設作業がむずかしい。
できるだけ障害のないところを選ぶ、 増水時にどれくらいの水かさになるかを見通す、などの目巧が 利かなければならない。
一帯は急流でたまる水量が少ないため、 堰を高い目に築く必要があった。
堰の位置が決まると、まず退けられる石を除く。
そして滝の 上に撰み堰を設け、堰出しの再現のように竿掛け修羅をかけて つぎの堰に移す。
つぎの堰にたまった水が、修羅の鼻まで達して いるのである。
水量の多い場合は、梁(やな)修羅という、材木 が自然に溝途に流れ込むように設計された修羅を用いる。

こうして撰み堰を順次設け、滝上から材木を流していく。 奥之宮の階段は、200段くらいあるだろう。その階段のすそ から少し下のあたりに、ひときわ大きな撰み堰、盤台を設け流れ きた材木を一本ずつ引き上げる。盤台には牛木馬道から差し込みを 入れ、引き上げられた材木は数台の牛木馬で国道169号線まで、 一里ほどの距離を運搬する。 国道の下を大又川が流れていて、 箱のように岩が切りたっているところから箱淵という、この川一番 の深い淵まで、こんどは矢遠で下ろし、そこで筏に委ねて流送した ものである。